素材の持つ魅力を伝えながら、
”まちの建材屋”として歩み続けます。
自宅併設で興した小さな建材店がスタートの当社は、土木建設会社から左官業などの個人事業主まで、数千という多くのお客様との出会いの中で生まれたやりとりを受け止め、品質改善や販売品目の拡大を重ねながら今日まで展開して参りました。社屋が新しくなり、新商材の取扱も増える中で、社員一人ひとりが志高く業務に励む姿は当社の誇りでもあります。
当社が扱うのは、コンクリートやブロック、石材、砂利、といった建物をつくる”素材”です。そんな素材には不思議な存在感と飽きない魅力があり、それらが生み出す表情はとても豊かなもの。私自身は育った環境から、折につけそんな素材の魅力に触れてまいりましたが、主たるお客様が土木建設会社、左官職人さんなどプロの方々であることから、一般の方々にその魅力をお伝えできずにいることを歯がゆく感じておりました。
関連会社「クレール」の立ち上げも、そんな思いがベースにあります。そして、その良さを知り、自身が手掛ける仕事の素材として選んでくださる、素晴らしい技術を持った職人さんの存在があります。この間に、一般のお客様がこれら”素材”の魅力に気付いて頂ける場があれば、「こんなスペースにこんな使い方ができるなんて」「これなら真似してみたい」と身近に感じて頂くことができるかもしれません。そんなアイディアの発信を目指すと共に、左官という日本伝統の技を当社が下支えする機会を増やしていきたいのです。”まちの建材屋でありたい”、という初心は変わりませんが、この想いを軸に歩みを進めることで、当社の建材が皆様の生活を彩り、豊かな心になれるきっかけとなれば幸いです。今後も数々の出会いに感謝しながら、先代から受け継いだ信用と実績を基盤に、地域のお客様とともに歩んでいきたいと思っております。
沿革
昭和37年12月 | 石川文男が資本金120万円にて(有)丸文ブロック工業所を設立。豊川市長山町アライにて空洞ブロック、コンクリート二次製品の製造工場を建設、その製造を始める |
昭和39年12月 | 資本金300万円に増資。社名を(有)丸文建材店と改め、コンクリート製品の製造・販売を始める |
昭和49年11月 | 生コンプラントを建設、小野田セメントを利用しレディーミクストコンクリートの製造販売を始める |
昭和56年4月 | 豊川市一宮町大木に空洞コンクリートブロック工場(千両工場と呼称)を新設。下長山町の工場を豊川工場と呼称する |
昭和57年2月 | 資本金を800万円に増資 |
昭和58年3月 | 豊川工場にて道路用コンクリート製品のJISを取得 |
昭和58年7月 | 千両工場にて空洞コンクリートブロックのJISを取得 |
平成4年6月 | 有限会社丸文建材店を株式会社丸文建材に組織変更資本金を1000万円に増資 |
平成9年2月 | 豊川工場にて道路用側溝(PU)のJISを取得 |
平成18年2月 | 豊川工場を同市大木町へ移転 |
平成19年7月 | 代表取締役・石川清美が就任 |
平成22年3月 | 豊川市大木町から同市正岡町へ移転 |
平成30年2月 | 本社新社屋完成 |
平成30年8月 | 豊橋支店新社屋完成 |